社会や経済の発展を何で測るかは、確かに難しい問題です。
しかしながら、人類がたどってきた工業化や近代化の歴史のなかでは、アジア諸国が欧米に比べて遅れてきたことは事実です。
昨今は、中国やインドの目覚ましい発展が、世界経済を牽引しているなどといわれますが、急速な近代化や工業化は、これまでの「遅れ」の裏返しでもあります。
「開発独裁」で、「遅れ」を取り戻す他のアジア諸国に先駆けて、日本は一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて工業化・近代化を成し遂げ、欧米列強と対噂するまでになりました。
一八六八年の明治維新を経て、「富国強兵」「殖産興業」を国是としてきた日本は、一九世紀後半には繊維産業を中心とした軽工業を発展させ、一九〇一年の官営八幡製鉄所の設立を囁矢として二〇世紀前半には重化学工業化を成し遂げます。
その後は第二次世界大戦へ突入して、壊滅的な打撃を受けますが、一九六〇年代の高度経済成長を経て、再び先進諸国の一角を占めるようになりました。
アジアでは、二〇世紀の後半になってNES(韓国・台湾・シンガポール・香港)や、ASEAN4(タイ・マレーシア・フィリピン・インドネシア)が、相次いで経済発展への「離陸」を遂げ、二一世紀の今、中国やインド・ベトナムなどが、急速な近代化・工業化の真っ只中にいます。
長い間「アジア的後進性」に支配されてきた社会では、欧米的な個人主義や法の支配の考え方は、なかなか馴染まないようです。
専制的な君主の支配下で、村落や家族といった伝統的な共同体のなかで暮らす、そういう社会の型を引き継いできたため、人々は民主主義的な「法の支配」よりも、「人の支配」による善政に期待します。
「漠江の奇跡」といわれた経済成長を韓国にもたらした朴正殿元大統領、「国父」と呼はきかれるシンガポールのリー・クアン・ユー元首相、インドネシアのスハルト元大統領などの敷いた「開発独裁の体制は、杓子定規の民主主義や法の支配よりも、柔軟な人の支配の方が威力を発揮した例といえるでしょう。
世界第二のGDP大国にのし上がった中国は、いまだに事実上は、共産党の一党独裁国家です。
逆に、古くからの民主主義国家であるインドは、民主的な政権の社会主義的な政策などが災いして、長らく経済発展から取り残されてきました。
ところがT革命による急速な情報産業の進化とインターネットの普及は、民主主義のインドには追い風に、共産主義の中国には逆風になっているようです。
コンピューターソフトの開発という新しい産業は、自由に情報が行き交う、数理と英語にたけたインド人の社会に、思わぬ経済発展をもたらしました。
対照的に共産主義の中国では、インターネットを通じた情報の普及が、一党支配の足元を揺るがしています。
形の上では民主主義の発達した戦後の日本でも、相変わらずの「お上」療み、「お役所」「お役人」頼りには、同じようなアジア的後進性の精神構造が背景にあるのでしょう。
民主党政権の掲げた「脱官僚支配」は、今も様々な試練にあっています。
「アジア」の景色日本やアジアの街並みが、特にヨーロッパの古い街並みに比べて汚いといわれるのは、やファミリーこのようなアジアの「遅れに、大きな原因があると思います。
工業化・近代化というのは、人の住まい方として「都市化」を伴います。
日本やアジアの国々では、欧米諸国に対する遅れを取り戻す過程で、ほとんどコントロール不可能なほどの、急速な都市化が進んできました。
「開発独裁」による発展の過程では、工業化・近代化がまず優先されました。
このために、同時に発生する都市化の問題に対処することは、概して優先順位が低くならざるを得なかったのです。
国民もまた指導者に対して、まずは目先の物質的な豊かさを実現してくれることを求めたのです。
急激な都市化は、例えば、世界に先駆けて一八世紀に産業革命を成し遂げたイギリスにおいても、同じような社会問題を引き起こしました。
工業化に伴った急速な都市人口の拡大は、住宅問題やインフラ整備の問題を引き起こし、スラム街の膨張と公衆衛生の悪化をもたらしました。
けれどもイギリスでは、一〇〇年余りをかけて解決してきたこのような問題に対して、日本は五〇年で、さらに東南アジア諸国では二五年でといった具合に、ほとんど場当たり的な対応しかあり得ない短時間に、解決を迫られてきたのです。
ですから、まともな「解決」など不可能でした。
その結果として、都市が無秩序に拡大して、どこまでも続く低層木造住宅の集積が一般的な街並みになってしまったのです。
日本の場合はさらに特殊で、明治維新から約五〇年を費やして近代化を遂げてきたのですが、第二次世界大戦でおもだった都市はほとんど灰燈に帰してしまいました。
そしてそこから、ほぼ一〇年余りで「復興」を成し遂げたのです。
経済白書が「もはや戦後ではない」と、戦災復興の完了を宣言したのは、終戦からわずか年後の一九五六年です。
そしてそこから一気に、一九六〇年代に続く高度経済成長と、都市への人口集中がはじまりました。
このような猛スピードの復興と経済成長のなかでは、「街並み」のことなど考えている暇もなかったのでしょう。
日本の街は、やっぱり汚い日本の家は、「木と紙でできている」と欧米人からいわれてきました。
東南アジアの国々の家も、木とヤシの葉やトタン板などでできていました。
アジアでもヰタ乾燥地帯に属する北京の家は、煉瓦と漆喰のようなものでできていて、街並みはやファミリー雑然としています。
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海外から帰国した時、成田空港からリムジンバスに乗って高架の高速道路上から周りの街並みを見ていると、どうしても「アジア的後進性」という言葉が頭に浮かんできてしまいます。
短い成田の田園地帯を抜けると、散在的に現れはじめて次第に密度を増していく、雑然とした低層家屋群に圧倒されます。
東京湾岸に入ると、今では高い防音フェンスが道路の両側に巡らされて、周りの景色はほとんど見えなくなってしまいましたが、垣間見える雑然とした街並みは、あまり変わっていません。
また逆に電車で、東北・上越方面に向かって都心から関東平野を北に進む時には、不揃いな商業ビル群に中低層住宅がはめ込まれたような街並みが、低層木造住宅のなかに中高層マンションが点在するようになり、やがて田畑が少しずつ広がりはじめる景色へと変わっていきます。
広い関東平野のほとんど全域に及ぶような、首都圏の切れ目のない建物・家屋の広がり第一葦日本の街は、なぜ汚いのかに、何かアジア的なものを感じるのは私だけでしょうか。
現代の巨大都市は、アジアを中心とした途上国に広く分布しています。
圏域の取り方などによって異なりますが、人口一〇〇〇万人以上の大都市圏は世界に三〇ほどあり、そのうち六割がアジアにあります。
なかでも日本の首都圏では、東京の一二〇〇万人に周辺圏域を加えた人口は、三五〇〇万人と突出しています。
ヨーロッパでは、どちらかといえば都市の家々は石造りで整然と配置され、田園地帯の住宅はゆったりと散居しています。
都市と田園地帯の区切りがはっきりしていて、街並みや個々の住宅は、どちらも周囲と調和がとれて美しく見えます。
日本では都市と郊外の境が鮮明でなく、無秩序に広がる街並みは、やっぱり汚いのではないでしょうか。
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